【初秋の京都】伏見稲荷大社へ参詣

伏見稲荷大社 神社

伏見稲荷大社

京都の伏見稲荷大社。全国30,000社あるといわれる稲荷神社の総本宮。
御祭神は、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)をはじめとする五柱からなります。
古の時代から商売繁盛、五穀豊穣の御利益を求める庶民に愛されてきた神様です。
近年はインバウンドの観光客で賑わう京都屈指の観光名所にもなっています。

祖父母とお稲荷様

そんな伏見稲荷大社ですが、商売人だった私の祖父母が崇敬していた神社でした。
昔ながらの作りの祖父母の家にはそれは大きな神棚が置いてあったのを覚えています。

祖父母はずいぶん前に亡くなりましたが、今でも思い出すたびに実家の神棚を思い出します。
今回はそんな当時の思い出を胸に、祖父母にご利益を与えていただいた神様への感謝を伝えに参拝しようと思い立ち寄りました。
とりわけ熊鷹社を厚く信仰していたので稲荷山の中腹まで目指すことにしました。

インバウンド観光客で賑わう境内

伏見稲荷鳥居

2025年9月。JR稲荷駅で降りるとすぐに赤い大きな鳥居が見えてきます。
真っ直ぐ伸びた参道、もう一つ鳥居を抜けると見えてくる一対の狛狐。遠くからでも目を見張る大きさです。
それにしてもインバウンド観光客が多い。参拝目的ではないようで鳥居で一礼、拝殿で二礼二拍手一礼してる方は見受けられませんでした。
人は多いけれど観光地化してしまっているような状態。こんな状況を神様は憂いているのでしょうか。
でもそこは商売繁盛の神様。人で賑わいそこでお金が生まれ富が生まれ、みんなに巡っていくのをそれはそれで喜んでおられるのかも知れません。
それに観光地となってもそこは全国30,000社の稲荷神社の総本宮。全国各地から訪れる参拝客によって信仰は薄れることなく御威光は保ったままでおられるのでしょう。
それでも気になってしまうのはインバウンド観光客のマナーの悪さでした。参道で大声で怒鳴ったり、社に小石を投げて遊んでいたり、あろうことか山の中で唾を吐くなど。。いくら懐の深い神様といえどそれはバチが当たりますよ。。。
文化や価値観の違いがあることは理解したいけれど、せめて神聖な信仰の場であることに敬意をもってほしいと切に願いました。

神恩感謝を伝えに参拝

鳥居を越えると姿を現す一対の狛狐。その圧巻の大きさは他に類を見ません。威厳があり、さながら今にも動き出しそうな迫力です。
その先の朱色を基調とした楼門の見事さ、美麗な作りにも感嘆します。
広い境内の中央にそびえる本殿に参拝、お招きいただいた感謝をお伝えさせていただきました。
その後、いくつか末社にもご挨拶させていただきました。

道中、伏見神宝神社へ寄っていきます

伏見稲荷千本鳥居

そこから千本鳥居を通り、お目当ての熊鷹社へと向かいますが、少し寄り道をしていきます。
千本鳥居を通っていると、途中で右へと抜ける道があり、その先には伏見神宝神社があります。
伏見神宝神社は、同じく稲荷山の中にあります、伏見稲荷大社とは別の神社とされています。
御祭神は天照大御神稲荷大神。末社には龍神も祀られています。
千本鳥居から横に抜けて少し歩いた先にありますが、観光客も比較的まばらで落ち着いて参拝ができました。稲荷山に来た際は是非とも立ち寄っていただくことをオススメします。

伏見神宝神宝神社狛犬


境内は小さいのですが、龍神さまの社のそばに腰掛けられる石の椅子もあり、そこに座りながら眺める境内の景色は最高です。
手入れされた木々と、山から聞こえてくる虫の声、日本庭園にいるかのように落ち着くひとときでした。その椅子の辺りは少し空気が違っていてエネルギーを感じた場所でもあります。

入り口付近にはお札やお守りも売っていて、ここでしか買えない十種神宝ペンダントというお守りがあります。
銀製と銅製の二種類あり、銀製のペンダントをいただいてきました。
受付していただいたおばあさまから合わせて祝詞書もいただきましたので、自宅の神棚で毎日それを見ながら祝詞をあげさせていただいています。

伏見神宝神宝神社のペンダント

波長の合う神社に来ると何時間でも居続けたい気分になります。正確にいうと、スッと頭が軽くなってエネルギーを感じる瞬間が訪れるので、その状態ならいつまでも居られるなぁと感じます。
長い時間は続かないので通常の状態に戻ったら名残惜しむように帰ります。
そんな感覚のあった神社でしたので自分の中でお気に入りになりました。

熊鷹社を参拝

さて、千本通へ戻り先へと進みます。少し道に迷いながら熊鷹社へ到着。
熊鷹社の御祭神は熊鷹大神。ここぞという大勝負を決める時に参拝するとその御利益にあずかれるといいます。

昔に来たかすかな記憶と照らし合わせながら、今なお変わらずにある熊鷹さんを眺めていました。
向かいのお店でろうそくを買って拝礼。祖父母が大変熱心に信仰していたこと、昔に参拝して以来ずいぶんと時間が空いてしまったことなど心の中でお話させていただきました。
向かいのお店竹屋さんでも祖父母は顔馴染みだったことを後から聞きました。
厚く信仰していた祖父母はどのように神社、神様を感じて繋がっていたのか。
今となっては聞くことはできませんが、きっと同じような思いだったのだろうと思います。
そんな感傷に浸りながら熊鷹社を後にしました。

参拝をして感じたこと

神道はない宗教と言われています。
神様の姿はもとより、起源、信仰の形が見えない、曖昧だからこそ、異文化や他の宗教を取り込み習合していく懐の深さがあります。これが古来からの流れです。
だからこそ八百万の神が居て、和の精神が尊重されるのです。言葉や文化、価値観の違う観光客、別の神様を信仰する異教徒でさえも受け入れる器の大きさを感じます。
今回、伏見稲荷神社を参拝し、改めてそのことを深く感じることとなりました。

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